白川静

酒見賢一は僕が好きな作家の一人なのですが、氏が中国に材を取った作品を発表した場合は大抵、参考文献に漢文学者・白川静の著作が挙げられています。「陋巷に在り」などの本文で学術的な記述が始まると、「あーこの辺で(参考文献の項に挙げられていた)『字統』とか『字通』とか、そういうのを参考にしとるんやな」と思いながら読んでいました。たまに漢和辞典を引っ張り出して、文中に引用されている内容と見比べたこともありましたが、当然ながら情報量には雲泥の差があるわけです。それから暫くして、大型書店で『字通』の現物を見つけて、その大きさと価格に驚かされました。「これは専門の学生でないと手に余る代物だ、俺には漢和辞典でちょうどいい」と、なにやら及び腰になったのを覚えています。
それから、さらに何年かして、NHKの番組で、白川静氏に取材しているものを偶然見る機会がありました。小柄で細身な氏は、学問に打ち込んで来た人によく見られるような、沈思的、内省的な雰囲気の人物でした。碩学だとか学究だとかいう言葉は、こういう人を指して使うのだなと思ったものです。夫人がまたとても雰囲気のよい女性だったのも印象に残っています。


結局、現在に至るまで氏の著作を読んだことはありません。酒見作品が契機になって手を伸ばすことはあるだろうなあ、と漠然と考えているうちに、氏が逝去されたことを知りました。
今じゃ学問と縁遠い生活をしているし、そもそも漢学の門外漢である自分ですが、もう一度くらい白川氏の生の言動を何かの形で拝見したかった。自分がもっと漢学の世界に積極的に触れていたらと、己の怠慢を悔いるばかりです。
氏のご冥福をお祈りします。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061101-00000107-mai-peo